「空」とは、物事が自分の考えているようなものではないことを意味します。ヨガなどのエクササイズは私たちの健康を根本的によくしてくれるものではありません。ガソリンは車を動かすパワーがありませんし、食べ物は私たちの身体を強くする力もありません。すべては、あなたが過去に他人とどう接していたかにかかっています。
食事が原因で亡くなる方もいるので、食べ物が必ずしも健康になるとは限りませんが、
今ある現実は、白いスクリーンのようなもので、そこに映しだされている食べ物は、あなたの過去の行動がスクリーンに投影した映像なのです。
例えば、ダンスや音楽、古い経典を学ぼうとするとき、自分の足元、目の前のピアノや本を見ると、目に入るすべてのものが自分の思っているものとは違うのです。
足でもなく、弾いているピアノでもなく、手元の本でもなく、それらのすべてはあなたの意識の写真のようなものによって作られているのです。
では、これらの写真はどこから来ているのでしょうか?
本を手に取ったとき、それはランダムな原子や物質の破片の集まりに過ぎません。
私たちの脳がそれを組み立て、本と感じさせるのです。 私たちの脳は、私たちが過去に意識の中に植え付けた種、つまり、過去に他人に親切な振る舞いをしたとき、あるいはそうでなかったときに植え付けた種によって、映し出されるのです。
だからこそ、私たちは人に親切にすることを心がける必要があるのです。人に親切にすることで、心の中に良い種をまき、脳がそれを変換することによって、良い本と出会える(見える)ようになるのです。これが私たちの現実の世界です。
私たちの意識の中の写真は、ただのランダムな写真ではありません。それらが積み重なって、私たちの世界、私たちの身体、私たちの意識は成り立っているのです。
なぜ、ピアノのレッスンで上手に弾ける人とそうでない人がいるのでしょうか?
なぜ、ヨガなどのエクササイズに挑戦すると、綺麗で健康になる人と、いくら挑戦しても足を痛めたりして諦めてしまう人がいるのでしょうか?
なぜ、多くの人が古典の書籍を読んでも、僅かな人しか理解できないのでしょうか?
何か物事をうまくやろうとするときは、そのこと自体とは無関係なのです。
知識は本の中には無く、ヨガやその他のエクササイズが本当に私たちの健康をサポートできるわけでもなく、また素晴らしいピアニストにしたのは先生ではないのです。これらはすべて、私たちの意識の写真(種)から来ているもので、過去に他人に行った、良い行いがあったからです。
他人に親切にサポートし、社会貢献を行うことが最も賢明なことです。
継続的に実践すれば、学びたいことが、何でもマスターできるようになります。
人に尽くすことを常に意識していれば、すべてがうまくいくでしょう。
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